富山県体育協会史より
平成20年から平成29年度までの富山県ソフトテニス連盟主な出来事。
連盟として、ジュニアから一般までの一貫強化体制を構築する形で普及と強化に取り組んだこの年を小学生・中学・高校・レディース・実業団・一般と、それぞれの分野ごとに振り返ってみたい。
会長 高倉 正和(~平成30年度)
ソフトテニスの普及と強化を目的に、設立された『富山県小学生ソフトテニス連盟』は、平成30年3月で20周年を迎えた。この10年を振り返ってみると『全日本小学生ソフトテニス選手権大会(富山大会)』の開催や、全国大会・北信越大会での選手の活躍など心に残る出来事が多数あった。
平成22年の役員改選にて眞田剛氏が会長に就任した。眞田氏は小学生連盟設立から中心となり理事長として尽力され、松本久介氏(任期6年)の退任を経ての就任であった。
団体数は設立時の8団体から18団体へと増加し、会員数は170名から400名へと2倍以上になった。県東部への普及を積極的に図り、県下全域での増員と組織化に成功している。
大きなイベントとして、平成27年に『第32回 全日本小学生ソフトテニス選手権大会(富山大会)』を高岡市テニスコートと高岡市営前田庭球場にて開催した。全国から3000余名の選手・観客・役員が参加する大きな大会であったが、関係各位の協力を得て成功裡に終えた。団体戦(女子)で富山県Aチームが9位入賞、個人戦(女子)で 山上・小杉ペア(射水)が9位入賞と好成績を残した。
この10年の全国大会等での富山県選手の活躍は目覚ましいものがあった。
男子の大家・小坂ペア(入善)は全国小学生大会4年以下の部 [H28] で優勝、全日本小学生選手権大会 [H30] で5位入賞を果たした。女子の小柴・浦山ペア(射水)は全日本小学生選手権大会 [H30] で準優勝した。
団体戦では、全日本小学生選手権大会 [H28] で富山県女子チームが準優勝、富山県男子チームが5位入賞 [H24、H29] を果たすなど結果を残している。
北信越小学生大会 [H28] では、女子の小柴・轡田ペア(射水)が優勝している。北信越小学生インドア大会では、男子の山本・尾山ペア(福光)[H23、H24]、女子の吉川・川崎ペア(射水)[H24]、山上・吉川ペア(射水)[H27、H28] が優勝している。北信越クラブ選手権大会では、男子の砺波東部[H23]、福光[H24]、入善[H30]が、女子の射水[H28]が優勝している。
小学生連盟のこれまでの活動は、中学・高校での選手の活躍に活かされている。
「軟式庭球」と呼ばれていたこの競技が、国際化の進展に合わせて「ソフトテニス」と名称変更されて久しい。この間に何度かのルール改正を経て、現在に至っている。この「ソフトテニス」に取り組む中学生数は、女子では第一位、男子でも第三位(日本中体連調査)と、他競技と比べても全国的に人気競技の一つである。
そういった中で、地元開催された平成20年の全国中学校体育大会において南砺市立吉江中学校が男子団体戦で3位となったのをはじめ、女子個人戦でも平成22年に中川・石田組(吉江中)が3位に入賞するなど、近年の本県の競技水準は顕著な向上がみられる。また、直近の10年間では、北信越大会においても団体・個人各種別において、男女とも優勝校・組を輩出するまでになった。激戦区といわれる北信越ブロックにおいて富山県勢の全国大会出場組がほぼ毎年出ている状況は、競技水準が北信越ブロックでも通ずるものとなっていることを表している。また、全国大会に出場するのがやっとであったところから、全国大会でも勝ち上がる選手が出てきていることも大変心強いところである。
この背景として、地域の指導者が中学校の外部指導者としてかかわり、一貫して指導していく体制が築かれつつあることも大きい。また、研修大会や強化練習会でブロック内外から強豪校を招くなどして、全国水準を肌で感じる機会が定着していることもその要因に挙げられる。高岡スポーツコアなどにおいて、研修大会や強化練習会などを精力的に行い、ブロック内外から多数の強豪チームを幾度となく招いて、交流の機会も大きく増加した。毎年5月に実施している東西交流大会(強化練習会)では、中国・近畿・東海・関東・東北ブロックなどからも強豪校が参加し、男女で1,000名近くの強豪校選手が富山県に集結して、全中の前哨戦ともいえるようなハイレベルな試合にふれることも可能となった。
また、これらの要因に加え、全国水準の選手を育成している小学校(少年団)の活動も見逃せない。少年団チームが母体となって小・中で継続性のある一貫した活動が行われ、小学校段階でまいた種が中学校段階で結実している例も多くみられるようになっており、県全体でジュニア層の普及強化が進んできたことも、中学生の競技力向上を支えているといえる。このような中、日本ソフトテニス連盟が優秀選手発掘と一貫指導を目的として立ち上げた「競技者育成プログラム」によって、本県中学生選手がジュニアナショナルチーム選手に選出されるなど、全国水準の選手を輩出するまでになってきている。
しかしながら一方では、指導者の高齢化や、過重な負担の見直し(働き方改革)、少子化等に伴う部員の減少など、新たな課題に直面しているチームも多くみられる。また、中学卒業後の硬式テニスへの競技人口流出に加え、シングルス導入など、ソフトテニスを取り巻く状況は大きく変わってきている。高等学校での登録者人口は中学の登録者人口の3分の1程度に減少しており、このことは本県においても例外ではない。小学校と高等学校の架け橋となるべく、中学部活動の果たすべき役割は大きい。そのため、強化の側面だけでなく、普及・振興の側面からも、ソフトテニス競技の魅力の啓発にも力を注いできたところである。
選抜チームに目を向けると、数多くある成果のなかでも都道府県対抗全日本中学生ソフトテニス大会での活躍が目を引く。都道府県対抗戦での上位入賞(H24男子3位、H26男子3位、H24女子5位、H27男子5位、H29女子5位)や、個人戦での準優勝(H27、尾山仁哉・五十嵐海渡組)など、まさに様々な方の協力を得ながら地道に進めてきた強化が実を結んだ結果と言える。今後も顧問相互の情報交換や富山県ソフトテニス連盟との連携を強化しながら、更なる普及・発展に努め、生徒達が心身ともに成長できる環境を整備していきたいと考えている。
高校でのこの10年を振り返ると、インターハイにおいて、平成21年の高岡商業、25・28年の高岡西がそれぞれ女子団体3位に入賞するなど近年、輝かしい成績を残している。個人戦では、平成24年に中川・高畑ペア(高岡西)が準優勝を果たしている。(右写真)
北信越大会でも団体優勝・準優勝が続き、全国選抜大会においても26年の高岡西女子の準優勝をはじめ、高岡商業男子がベスト4の記録を残すなど、広くブロック大会・全国大会で活躍した。
さらに、国民体育大会およびハイスクールジャパンカップでも上位入賞の記録を残しており、高校卒業後も、徳川愛実、中川瑞貴、大井樹来、早川日向(以上高岡西)などが実業団チームに所属し、全国最高峰の舞台で活躍していることも、特筆に値する。
高校を取り巻く環境はこの10年大きな変化を迎えており、国民体育大会をはじめ各主要大会でのシングルスの導入に対応するため、高校でも春季・秋季大会において24年度よりシングルスの部を新設した。また、少子化に伴う選手数の減少やソフトテニス部を有する学校数の減少が課題となりつつある。主催大会のあり方、組織の見直しなどについて、現在協議を始めている。
全国で活躍できるトップ選手を、小中高の一貫した指導体制で育成するとともに、高校から初めてラケットを握る初心者や、小中学校での経験者もまた生涯ソフトテニスを続ける愛好者へと育てることも私たちの使命と考えている。
レディース連盟のこの10年間を振り返ってみると、平成20年に静岡県で開催された全日本レディース個人戦大会において宮崎みゆき・橋口(鹿児島)ペアが優勝し、県レディースとして初めての快挙を成し遂げた。
平成23年度からは、会長 堀 八千代、副会長 堀井まゆみ、理事長 長田恵子と新体制がスタートした。翌年には、若い会員の増加に繋がることを期待して、会員資格を20才以上に改正した。また、シニア世代の親睦を多いに深める大会として、七夕ミックス親睦大会を実施した。この大会は、当日抽選でチームを決め、団体戦による点取り合戦で、ミックスの試合ならではの試合運びに大歓声があがっている。平成26年からは、県内ソフトテニス愛好者増加対策と親睦を図る大会として、第1回かがやき交流大会を実施した。平成 28年からは、広く福井県、石川県、上越市にも呼びかけ、20才代から80才代まで参加しているルーセント杯北陸三県大会を実施し、生涯スポーツの友として楽しく末永く、それぞれの体力に応じ白球を追いかけている。
平成30年に開催されたねんりんピック富山2018では、全国各地からの選手との交流で、選手及び大会役員として幅広くレディースの力を発揮することができたと自負している。
平成31年からは、高校卒業後の活動の受皿として、会員資格も18才以上と改正し、若いレディース会員が活躍できる場として、また、ソフトテニス愛好者が生涯楽しく活動できる連盟として、これからも新たな取り組みに挑戦しながら頑張って行きたいと考えている。
実業団チームと連盟全般(一般)を中心に、この10年を振り返ってみる。
実業団チームは、男子ではYKKと不二越、女子ではタカギセイコーが中心に動いた10年間であった。不二越とYKKは、北信越実業団リーグ(一部リーグ)で常に上位争いに絡み、北信越地区での地位を維持している。
平成20年、21年には、大学生の稲積京之介(日本体育大学)と柴田泰輔(早稲田大学)が、全日本選手権や全日本大学選手権などで上位入賞を果たすなど大活躍をした。
平成21年には、女子実業団チームのタカギセイコーが「日本実業団リーグ」で優勝(写真)し、その年の日本リーグ入替戦で2位となり「日本リーグ」への復帰を果たした。その後、平成27年までの6年間を日本リーグで活躍した。
平成21年のトキめき新潟国体では、小峯秋二(高岡ビッグウェーブ)、稲積京之介(日本体育大学)、柴田泰輔(早稲田大学)、辻恭平(日本大学)、中本悠太(YKK)、林拓己(早稲田大学)の成年男子チームが7位入賞を果たした。
平成22年には、男子実業団チームのYKKが京都福知山で開催された「日本実業団リーグ」で男子県勢初めての5位入賞(写真)と活躍した。その時のメンバーは、監督が河村浩志、選手は舟瀬宏文・藤村祐太・中本悠太・倉田栄・尾山浩章・岡本将史・村井裕太・加藤一貴・竹内大輔と若手中心のチームで、これからの活躍が期待された。7月に行われた東日本選手権では、一般女子の部で東海あかね(日本体育大学)が優勝、佐藤仁美・高橋郁美(タカギセイコー)が2位となった。社会人となった稲積京之介は、同大会で3位、9月に行われた全日本社会人選手権においても2位の好成績を収めている。
平成25年には、全日本社会人選手権で前田優・宮下愛美(タカギセイコー)が3位入賞を果たし、全日本で10位にランキングされた。
平成23年から平成27年には、タカギセイコーの選手に大学日本一の東海あかね(日本体育大学)を加えた成年女子チームが国体で上位入賞を果たした。さらに、平成27年には、タカギセイコーが、岩手県で開催された「第59回全日本実業団選手権大会」で12年ぶり2回目の優勝(写真)を果たし、嬉しい年となった。優勝メンバーは、監督が百町善明、選手は、前田優・濱村紗和・徳川愛美・小野川優希・石原雅子・長尾結衣・岡部友里の7名でタカギセイコーの全盛到来と思わせた。ところが、その年の9月にタカギセイコーの廃部が報道され、連盟関係者は、衝撃を受けることになった。廃部後は、徳川選手(高岡西高校出身)はYONEX、小野川選手・岡部選手が東洋観光、濱村選手がナガセケンコーへ移籍する事になった。後日、石原選手も東芝姫路に所属することになった。
平成30年には、男子実業団チームのYKKが、茨城県で開催された「第63回全日本実業団選手権」で、昭和55年「滋賀県長浜大会」以来、38年ぶりの「ベスト16」に入り、嬉しいニュースとなった。その時のメンバーは、監督が舟瀬宏文、選手は藤村祐太・水元脩介・齊藤修也・西田慎・德野竜也・東川晃太・吉野凌太郎・鹿熊恵智の8名で、舟瀬監督、藤村主将が中心となってのチーム作りが実を結んだと言える。今後は、このYKKと不二越が富山県成年男子の牽引役として、活躍してくれることに期待が寄せられている。両チームともに選手の若返りを図り活気あるチームへと成長している。
現在、富山県の実業団チームは、富山県庁、富山市役所、不二越、北陸電力富山、YKKの5団体となっている。厳しい社会情勢の中でチームを維持するには、色々と苦労はあるが、企業スポーツ・地域スポーツとしてのソフトテニス普及と技術レベルアップへの貢献に期待している。
タカギセイコーは、「2000年富山国体」へ向け、富山県ソフトテニス連盟と富山県からの要請で平成5年に女子実業団チーム「フェアリーズ」として創設。6年目の平成10年には初めて日本一となり、富山国体で2位。平成15年からは部として活動を始め、ジュニア層の育成などを通し地元にも貢献してきた。
現在も徳川愛美はYONEXに所属しており、「全日本シングルス」優勝2回(平成28年、平成29年連覇)、平成28年・平成29年の日本リーグ優勝と輝かしい成績を残している。また富山県出身(高岡西高校)の中川瑞貴が、平成28年の「第8回アジア選手権」で優勝(中川・森原ペア)、平成30年の「全日本社会人選手権」優勝など、ナガセケンコーの主将として活躍している。
タカギセイコー廃部の後に立ち上げた地域密着型クラブチームのウェーブ富山が全日本クラブ選手権でベスト8に進出した。また、ジュニア期から一貫指導体制で強化してきた大学生、渋谷真由子(東京経済大学)、桑名優依(日本体育大学)、浅田実那(立命館大学)、村井琴音(関西学院大学)、宮田茉実(桃山学院大学)に徳川愛実を加えた成年女子チームが、平成29年の愛媛国体で6位、平成30年福井国体で7位入賞を果たした。
平成10年から19年までの10年間は富山県のソフトテニス界にとって飛躍の10年であった。2000年とやま国体の成功を目指し、ジュニアから一般まで一丸となって普及と強化に取り組み男女総合2位の成果を挙げることが出来た。その後も全国レベルの大会で富山県選手の活躍が目立つようになり各分野での地道な努力が実を結んだ形となった。連盟としても充実したこの10年を小学生・中学・高校・レディース・実業団・一般と、それぞれの分野ごとに振り返ってみたい。
ソフトテニスの普及と強化を目的に、平成10年3月1日に『富山県小学生ソフトテニス連盟』を設立した。福野町ソフトテニス協会の宮本氏を会長に、小学生連盟設立の中心となった眞田氏を理事長とし、8つの小学生団体でのスタートであった。平成16年の役員改選では松本久介氏が会長に就いている。
設立総会に先立ち、平成10年2月には念願であった小学生部会単独の大会「第1回富山県小学生学年別インドア大会」を開催している。県内小学生指導者・団体の結束を確認した大会となった。平成12年には協賛企業より優勝カップを寄贈頂き、平成19年で第11回を数えている。
平成13年6月に「第1回北信越小学生ソフトテニスクラブ選手権大会~2000年とやま国体記念~」を開催している。富山県でも小学生の北信越レベルの大会を開催したいとの思いから、新潟や石川にない大会と言うことで、団体戦の大会を実施した。平成19年の第7回大会では、北信越各県より88チーム600余名の選手の参加を頂き、とても盛大な大会となっている。
平成15年には、普及を目的に「第1回富山県小学生秋季大会」を小学生連盟へ参加が少なかった県東部で開催した。県連盟の総会・理事会での熱烈な呼び掛けが届いた為か、翌平成16年には、加盟団体が15団体となった。会員数も設立時の175名から平成18年の488名へと大幅に増加している。
平成11年には、氷見の稲積・上坂組が北信越大会優勝、第10回文部大臣旗争奪全日本ジュニア選手権大会で準優勝するなど、全国レベルでの成績を残している。稲積・上坂は、中学・高校でもその実力を発揮し、現在も大学で優秀な成績を残している。他にも小学生連盟で結果を残した選手が、中学・高校のレベルアップに寄与し、富山県の全体的な底辺底上げ、そして全国レベルの選手排出へと繋がっている。
小学生連盟が設立してから10年が経つ。普及・強化の目的から、小学生連盟の持つ責任は大きい。
平成10年度から19年度は、2000年とやま国体で活躍した選手をはじめとし、様々な方々がジュニア選手の育成に積極的に協力して下さった10年間と言えるであろう。そして、本県が先進的に行ってきたジュニア選手の強化が、競技者育成プログラムとして平成17年度から本格的に動き始めた。また、県中体連県外招聘事業や地元企業の協力を得た富山県ジュニアオープン大会には、北信越外からの参加も増え、まさに全国の優秀チームが集う事業として発展を遂げている。
この10年間の各中学校の大会成績を振り返ってみると、県選手権大会の団体戦を数多く制した氷見・北部中男子(5回)と城端中女子(7回)が、県内中学生を牽引してきたことが伺える。また、県外大会では氷見・北部中の活躍が際立っている。北信越中学校総合競技大会団体戦では、男子が2度の優勝(H11,H14)、女子が県勢初優勝(H17)を飾り、個人戦での入賞も数多くある。全国中学校体育大会団体戦では、男子が3位(H14)、5位(H11)に入賞し、個人戦では、稲積・中尾組が5位(H12)に入賞している。他の中学校の活躍にも目覚ましいものがある。北信越インドア大会をはじめとして、中部日本大会、東日本大会、東京インドア大会などの県外大会に多くの選手が参加し、優勝はもとより数多くの入賞を果たしている。県内選手全体の競技力が向上した現れであろう。
選抜チームに目を向けると、数多くある成果のなかでも都道府県対抗全日本中学生ソフトテニス大会での活躍が目を引く。団体戦では、女子が3位(写真:H16)、5位(H14,H17)に入賞。男子個人戦では、氷見・北部中の稲積・上坂組が県勢初優勝(H13)、同校尾山・吉滝組が5位(H17)に入賞している。まさに、様々な方の協力を得ながら地道に進めてきた強化が実を結び、全国で戦える選手が結果を出し始めた10年間と言えるであろう。
そして、平成20年度本県にて開催される全国中学校体育大会から始まる更なる10年間に明るい展望が開けている。今後も全国大会での数多くの優勝を目指し、さらなる飛躍を期待したい。
高校では平成6年に開催された富山インターハイ以後、2000年とやま国体に向けた県連のジュニア強化策によって少年男女のレベルが上がり、この10年輝かしい成績を残すことができた。
2000年(平成12年)の岐阜インターハイで、金・林道組(高岡西高校)が個人で富山県初の優勝を飾ることができた。(写真)
男子では平成14年茨城インターハイの個人で大門・西浦組(桜井高校)がベスト16、平成17年の千葉インターハイの個人で、稲積・上坂組(高岡商業高校)がベスト8、長谷川・種田組(高岡商業高校)がベスト16に入り、この年の岡山国体では少年男子が史上初の3位入賞を果たした。また、全国選抜大会においても、高岡商業高校が3位、桜井高校がベスト8に入った。
女子では平成17年の千葉インターハイで団体5位、個人稲積・沼口組(高岡商業高校)がベスト16に入った。
稲積・沼口組は翌年の大阪インターハイでも個人3位入賞(写真)、平成19年の佐賀インターハイでは、高岡商業高校が団体5位に入賞した。
また、平成19年の秋田国体では少年女子が5位入賞を果たした。国体出場については、北信越ブロックを突破することは、なかなか難しかったがとやま国体以降、毎年のように本国体に出場できるようになった。今後も全国大会の入賞を目指し、さらなる飛躍を目指したい。
会長辰尾静好、副会長宝田弘子、理事長越野寿美子、事務局長田恵子としてたくさんの会員を競技役員として、花を添えつつ運営に協力している。特に平成12年のとやま国体には、総務委員、審判委員、進行委員、受付接待委員長及び委員にと幅広く全般に渡りレデイースの力を発揮する事が出来、大成功へとつなげた。又選手の部では、成年女子35歳以上の部に安藤、佐野ペアが出場し見事勝ち進み全国2位の成績を成し遂げた。次の年平成13年鹿児島において開催されたレデイース全国大会(個人戦)でも安藤、佐野ペアは、すみれの部で3位となり全国に富山レデイースの名を高めた。
とやま国体も大成功に終わりOG連盟の役員刷新を図る時期となり、仕事を覚えてもらう目的で4年をかけて改選する事となった。その結果平成16年から会長開あけみ、副会長永山和枝、篠原淳子、理事長長田恵子、事務局田中靖子、会計村中玲子と新体制がスタートした。同じくその年に富山県ソフトテニス連盟副会長に辰尾静好が就任している。
新体制に成ってから、レデイース会員が1人でも多く相集いやすい大会を開催する目的で新たに秋季レデイース大会(辰尾杯)を開催する事になった。この大会は、4地区での持ち回りとなっており1人でもエントリーする事が出来る大会である。ペアは抽選で公平を保ち、その結果多くの人達が参加している。役員手作りの昼食(豚汁、松茸ご飯等)でなごやかに親交を深めながら開催している。平成19年には、広く石川県にも呼びかけ7名の参加を得ることが出来た。平成19年4月からは、全日本OG連盟から全日本レデイース連盟に名称変更があり、富山県も富山県レデイース連盟に変更となった。
【レデイース連盟で毎年開催している大会】
◆6月 全日本レデイース富山県大会
◆6月 スポーツレクレーション県予選大会
◆9月 北信越レデイース大会(5県持ち回り)
◆11月 辰尾杯
【毎年レデイース連盟から選手を送り出している大会】
◆8月初旬 全日本レデイース全国大会(個人戦)
◆8月後半 全日本レデイース全国大会(団体戦)
(すみれ4名、ばら4名、ゆり4名)
◆10月 スポーツレクレーション大会
(45歳以上2名,50歳以上1名)
◆10月 マスターズ大会
(35歳以上3名,45歳以上2名)
実業団チームと連盟全般(一般)を中心に、この10年を振り返ってみる。
平成10年のビッグニュースは、日本リーグにおけるタカギセイコーと、全日本クラブ選手権における高岡ビックウェーブの初優勝である。日本リーグは実業団チームにとって、また、全日本クラブ選手権はクラブチームとっての最大タイトルあり、両チームの快挙は、2年後に控えた2000年とやま国体に向けて大いなる勇気と希望を与えてくれた。また、かながわ・ゆめ国体では、成年男子チームが初の8位入賞を果たした。さらに、全日本社会人選手権並びに東日本選手権において、タカギセイコーの沼崎優子・裏地美香組が共に3位、森下宏美・向博美組が3位、2位の成績を納めた。
平成11年には、一般女子の沼崎優子・裏地美香組が日本ソフトテニス界最高の皇后賜杯全日本総合選手権大会の優勝を果たした。この優勝によって、両選手とも台湾で開催される世界選手権大会の日本代表選手となり、裏地美香は世界チャンピオンへと駆け上がった。また、一般男子では、シングルスの最高峰である全日本シングルス選手権において小峯秋二(高岡ビックウェーブ)が初優勝を遂げた。さらには、全日本クラブ選手権において高岡ビックウェーブが昨年に続いて2連覇を成し遂げたほか、熊本未来国体では、成年男子が2位、成年女子が7位と過去最高の成績を挙げ、男女総合で4位となり、来年に迫った2000年とやま国体に向けて大きな弾みとなった。
平成12年の2000年とやま国体の開催が決定して以来、連盟執行部の若返りを図り、開催準備及び選手強化に努めてきた。その結果、タカギセイコーのメンバーで固めた成年女子が第2位(写真)、高岡ビッグウェーブの選手を中心にした成年男子が第3位となり、男女総合2位という過去最高の成績を収めた。個人では、小峯秋二が、全日本シングルス選手権2位、天皇賜杯全日本総合選手権では、山森誠二(高岡ビックウェーブ)と組んだダブルスで3位となったほか、アジア選手権大会において、日本の団体優勝に貢献するとともに、シングルスで3位の成績を収めた。女子においても裏地美香が、沼崎優子と組んだ皇后賜杯全日本総合選手権で3位、アジア選手権大会では日本チームのキャプテンとして、団体及び個人ダブルスの二冠を勝ち取る快挙を成し遂げた。
平成13年の宮城国体では、高岡ビッグウェーブの選手で固めた成年男子が、第2位と言う結果であったが、他の種別で得点が上げられず、昨年の男女総合2位から8位と一歩後退した。個人では、昨年に引き続き、小峯秋二が、全日本シングルス選手権2位の実績を買われて選ばれた東アジア大会では日本の団体優勝に大きく貢献するとともに、シングルスで3位となった。また、片山諭志・宮崎慎吾組(高岡ビックウェーブ)が、東日本選手権で2位に入賞した。女子においては、タカギセイコーが全日本実業団選手権で2位、日本リーグで4位の成績を収めた。タカギセイコーの金智恩・裏地美香組が、皇后賜杯全日本選手権で3位、東日本選手権では優勝、大西麻美・前田恵美組が東日本選手権で3位の活躍を見せた。また、ナショナルチームに男子の小峯、女子の金、大西、裏地の3名が選出された。
平成14年には、小峯秋二が全日本選手権と全日本社会人選手権の2冠を制し、全日本ランキング1位と日本男子の頂点に立った。また、アジア競技大会に出場し、団体銀メダルに貢献した。その他、山森誠二は東日本選手権2位などで、全日本5位にラングされた。女子では、タカギセイコーが昨年に引き続き全日本実業団選手権で2位となったが、日本リーグでは8位という結果に終わった。女子では金智恩・濱田瑞紀組が、全日本選手権と東日本選手権2位で全日本ランキング2位、大西麻美・前田恵美組が東日本選手権優勝などで8位、全日本選手権ベスト8の玉泉・上水組が10位というベストテンに3組が入る活躍であった。よさこい高知国体では、成年女子が6位に食い込んだ。また、この年の4月に富山県ソフトテニス連盟のホームページを公開した。
平成15年の静岡国体では、成年女子が3位入賞を果たし広島市で開催された世界選手権には、小峯秋二と金智恩が日本代表として出場した。金智恩が女子ダブルスで銅メダルを獲得し、小峯秋二がナショナルチーム主将として男子銅メダルに貢献した。この年、タカギセイコーが全日本実業団選手権(写真)、全日本王座決定戦で悲願の初優勝を果たしたが、日本リーグでは7位という結果に終わった。また、金智恩・濱田瑞紀が、全日本女子選抜大会と東日本選手権で優勝、全日本社会人選手権2位。大西麻美も世界選手権国内予選で2位と実力の高さを示した。男子では、東日本選手権で小峯秋二が2位、山森誠治が3位と高岡ビッグウェーブ勢が活躍した。9月にソフトテニスの楽しさ、素晴らしさを発信し、ソフトテニスの普及発展を図ることを目的とした「第1回ソフトテニスの日」を開催した。小学生からシニアまで富山県内のソフトテニス愛好者約500名が一堂に会し、試合やテニスボールを使ったゲーム、大抽選会など和気藹々としてソフトテニスを楽しんだ。
平成16年には、全日本選手権で小峯秋二が2年ぶり2回目の優勝、山森誠二が3位入賞を果たした。また、小峯秋二は全日本社会人選手権と東日本選手権でも3位となるなど好成績を挙げた。タカギセイコーは主力選手の引退ということもあり、日本リーグ降格という苦しいシーズンとなった。
平成17年は、前述したようにジュニアから育った中学生や高校生が、全国大会で大きな飛躍を遂げた年であった。一般では、マカオで開催された東アジア大会に小峯秋二(写真右端)が日本代表として出場し、日本男子チームの銀メダルに貢献するとともに、全日本社会人選手権でも3位となった。東日本選手権では、舟瀬宏文・湯浅稔(YKK・高岡ビッグウェーブ)が成年男子で2位となった。タカギセイコーは、全日本実業団リーグで優勝を果たし、日本リーグ入替戦の出場権を獲得したが、日本リーグへの復帰は果たせなかった。
平成18年もジュニアから育った選手の活躍が目立った。大学生になった稲積京之介(日本体育大学:高岡商業出)が、関東一般をはじめ関東学生シングルス、この年から始まったジュニアジャパンカップU-21で優勝するなど日本の次世代をになうトッププレーヤーに成長した。同じくジュニアジャパンカップU-14では村上誠(小杉中)が2位に食い込む健闘をみせた。このジュニアジャパンカップには北信越ブロック12名枠の過半数を占める7名の富山県選手が出場しており、強化部を中心にした競技者育成プログラムU-14、U-18での強化が成果をあげてきた。一般では、小峯秋二が、全日本選手権で2位となり、一人気を吐いた。一般女子のタカギセイコーは、国体でも優勝した香川県をあと一歩といったところまで追いつめるなど、日本リーグへの復活に向け地道な強化を図っている。
平成19年には、一般から75歳以上のシニア選手まで1,934名の選手を迎え、東日本選手権大会を県内4会場で開催した。一般女子で、平峰彩香・高塚みなみ(タカギセイコー)が見事3位入賞を果たした。11月に福知山市で行われた全日本実業団リーグにおいてもタカギセイコーが2年ぶりの優勝を飾った。大学生では稲積京之介が、昨年に続き、一般の大会でも大きな活躍を見せ、全日本シングルスで2位に入るなど日本の次世代をになうトッププレーヤーの地位を不動のものにした。
昭和63年から平成9年までのソフトテニス界は大きな変革の時期であった。国際化をにらんで名称が『軟式庭球』から『ソフトテニス』に変わり、ルールも前衛、後衛の差別化を取り払うように国際ルールとして新しく生まれ変わった。現在は、『ソフトテニスをオリンピックへ!』を合言葉に国際化に向けて展開されている。このような流れのなか、富山県ソフトテニス連盟は、会長奥井健を中心に2000年富山国体に向けて意欲的な活動を行なってきた。この10年をスポーツ少年団・中学・高校・レディース・実業団・一般と、それぞれの分野ごとに振り返ってみたい。
福野町ソフトテニス協会の真田剛氏が中心となり、ソフトテニスの普及発展と競技力の向上を図るとともに、少年の健全な育成に寄与することを目的として活動を続けてきた。 昭和62年には、地元の企業協力を得て小学生を対象に近県からの参加者も交えて、『スパー杯北陸三県少年ソフトテニス大会』を第1回大会から平成3年の第5回大会までを開催。その後、砺波ライオンズクラブに引き継がれ平成5年の第1回大会から平成9年の第5回大会まで『北陸三県少年ソフトテニス福野交流大会』として開催され小学生へのソフトテニス普及と競技力向上に効果をあげた。この10年間で目を引く成績といえば、昭和63年に石川県で開催された『第5回全日本小学生選手権』で梅木将男・北村信吾組(福野)が男子個人3位、堀川恵美・土江田香織組(福野)が女子個人5位に入賞。また、平成5年札幌市で行われた第10回大会では池田由紀・中島香織組(城端)が女子個人5位入賞。平成6年に新潟市で開催された『第1回北信越小学生大会』では、石村美由紀・林道玉枝組(城端)、林寿美礼・井上恵理組(福野)、津田祐美・塚本佳奈絵組(福野)が1~3位を独占という素晴らしい成績を修めた。現在は、さらなるソフトテニスの普及発展のために『富山県小学生連盟』の発足に向けて協議を進めており、平成10年の設立を目指している。また、平成10年2月には、『第一回小学生学年別インドア大会』の開催を予定している。
平成元年よりスポーツアドバイザーとして中村光臣氏(現タカギセイコー監督)を迎え、『全国大会で勝てる選手育成』を目指し今日まで積極的な活動を進めてきた。指導者育成の面では、県外の指導者講習会へ専門部員を派遣し指導法の研究を行なうことで、初心者向けの指導マニュアルが整備された。これによって練習会なども有意義に実施できるようになり指導の方向付けができた。技術交流の面では、県外選手との交流の場を積極的に求めるようになったのもこのころからである。春には、県外優秀チームを招いて合同合宿を実施。夏には、新チームをヨネックス研修大会や岐阜カップ(岐阜県)に派遣し、冬場には、東日本ジュニア選抜研修大会(千葉)、北信越インドア大会(石川)、新潟近県インドア大会(新潟)へ選手を派遣するようになった。一方、普及活動にも力を注ぎ平成5年度より地元企業(北陸アルコン)の協力も得て、連盟主催の『富山県ジュニアオープン大会』を各学年男女別に実施するようになった。これにより県内の中学生全員が県レベルの大会を経験できるようになった。大会の成績を振り返ってみると平成元年に北信越大会の女子個人戦において神代・関井組(高陵中)が3位に入賞し県内初の全国大会への出場を果たした。これを皮切りに男子個人戦で平成2年に石坂・小沢組(奥田中)、平成5年に増井・米田組(志貴野中)、平成8年には花田・矢部組(芳野中)がそれぞれ全国大会に出場した。そして、平成8年本県にて開催された北信越大会では、男子団体戦において芳野中学が県勢初の優勝を飾る快挙を成し遂げた。全国大会での成績は振るわなかったものの、県内中学生が全国の舞台を目指す励みとなった。
高校では何といっても平成6年に本県で開催された『全国高校総合体育大会』が印象的である。平成5年から導入された新ルール(国際ルール)によって行われる最初の総体でもあり、猛暑の中、選手はさることながら大会役員も新ルールでの審判、運営と大変な大会ではあったが高体連、県連の方々の協力で無事大会を終えることができた。富山県勢の成績は男子個人戦での中村・坂口組(小杉高校)の4回戦進出が最高ではあったが、トップレベルの素晴らしいプレーを目の当たりにして本県選手、及び関係各位が得たものは大きなものであった。強化の観点からこの10年間の北信越における大会成績を振り返ってみたい。別表のとうり平成2年に小杉高校が6年ぶりに全国選抜大会出場を果たしたのを皮切りに、平成3年には少年男子が8年ぶりに国体出場権を得てその後、平成4年、平成6年と出場した。女子では、平成4年に小杉高校が県勢初の全国選抜大会出場を果たした。そして、平成9年には高岡工芸高校の男子が『北信越インドア大会』でみごとに優勝を飾った。個人では高岡商業高校の林・吉野組が2位、高岡工芸高校の花田・桶川組が3位と健闘し、2000年富山国体に向けて明るい展望が開けた。今後も全国大会での上位入賞を目指し、さらなる飛躍を期待したい。
女性の愛好者を一つにまとめる動きとして平成4年より本格的な活動が始まった。そして、この年の6月には女性だけの企画・運営で『第1回レディースフェスティバル』を開催し、翌年には会長を北野翠子、理事長を辰尾静好として、組織化され正式に『富山県レディース協会』が県連に登録された。毎年、東京で開催されている『全日本レディース大会』には富山県からも選手を派遣しており、平成6年の第16回大会では、沖縄県を相手に健闘し、3-2と嬉しい初勝利をあげた。また、この年に福井県において『第1回全日本レディース北信越大会』が開催され、すみれブロックで中川・田中組が、ゆりブロックで辰尾・島組がそれぞれ優勝。ばらブロックでは、中川・越野組が準優勝、木森・長田組が3位と大健闘した。
平成7年には、辰尾・島組が北信越選手権・壮年女子の部で見事優勝。続く東日本選手権大会では、ベスト8に入り富山県レディースの名をアピールした。翌平成8年には、会長を辰尾静好にバトンタッチし、副会長に塚本玲子、宝田弘子を迎え、理事長を越野寿美子として名称を『富山県OGソフトテニス連盟』として組織も充実された。そして、平成9年には、レディース連盟発足以来、最大のイベントとなった『全日本レディース大会(個人戦)』の開催へとつながった。大会参加人員も1564名と大会史上2番目となり本県女性会員総動員で企画・運営にあたり、無事大成功で大会を終えた。本県勢の活躍は、今一つであったがこの経験が今後の富山県OG連盟の発展に寄与するであろう。
この10年間の実業団チームの動向をみると、不二越、YKK、日清紡、北陸電力、NTT富山、富山市役所、県庁などが連盟に加盟しているものの、ここ数年は景気の長期低迷により実業団チームの減少が顕著になっている。このような状況のなかではあるが、不二越とYKKを中心に意欲的に活動を続けている。昭和62年から始まった『日本実業団リーグ』へ平成6年には、北信越代表として不二越とYKKが共に出場し、不二越は平成5年から平成9年まで5回連続出場ている。また、2000年国体に向けて平成4年には不二越が強化企業チームとして指定を受け大学卒の有望選手採用など強化も図られている。実業団チームの中で明るい話題といえば、県内初の女子実業団チームの発足である。平成5年3月に高岡市のタカギセイコーにチーム名『フェアリーズ』として創設された。監督として富山県スポーツアドバイザーでもあり、日本体育大学ソフトテニス部コーチでもあった中村光臣氏を迎え県内外の優秀選手を集めスタートを切った。翌平成6年には、『全日本実業団選手権大会』で5位、『第8回日本実業団リーグ』で見事に優勝。日本リーグ入替え戦でも優勝し、チーム創設2年目にして日本リーグ昇格という偉業を成し遂げマスコミでも注目された。
平成7年以降も、日本リーグで4位、3位と成績をあげ、平成9年の『全日本実業団選手権大会』では、強豪東芝姫路(兵庫)を2-0と破り堂々の3位入賞となった。個人では植原明美・裏地美香組が『東日本選手権大会』での3位を始め各種大会で優秀な成績を修めた。特に平成9年『第52回天皇杯・皇后杯全日本総合選手権』の準々決勝で東日本選手権チャンピオンの上沢・八谷組(東京・ナガセケンコウー)を5-1で破り3位に入賞し、初の全日本チーム入りを決めた。その他、平成6年の『東日本選手権大会』で沼崎優子・中村栄子組の5位入賞など素晴らしい成績をあげた。今後、2000年富山国体での益々の活躍が期待されるところである。普及活動の面でも中村監督を中心にタカギセイコーの選手の取り組みは、富山県内のジュニア育成はもとより、海外普及の面でも大きく貢献している。平成6年には、日本ソフトテニス連盟国際普及事業として中村監督以下、数名がベトナム・香港へ派遣されている。
一般を中心にしてこの10年の県連全般について振り返ってみる。平成元年には、かねてから誘致を進めていた『全日本社会人選手権大会』の開催が決まり、県営岩瀬スポーツ公園軟式庭球場を中心に3日間の予定で開催した。1日目の午後からはあいにくの雨に祟られたため、会場を県総合体育センターと体育文化センターに移し、何とか大会日程を消化することができた。この時の経験によって日連本部との太いパイプができたこと、そして、何よりも最悪時における運営の対処を学んだことが大きな財産となった。平成6年5月には、この年に開催された『全国高校総合体育大会』並びに2000年とやま国体のソフトテニス競技の会場となる高岡スポーツコア内にテニスコート16面が新設された。施設の美しさと設備の充実ぶりに両大会の関係者からは、日本でも有数のテニスコートとの高い評価を受けた。平成7年には、2000年富山国体の総合優勝と運営の成功を目指して、理事長以下の役員を一新し、高倉正和理事長を中心にソフトテニス連盟の組織改革と強化を図った。また、富山県競技力向上対策本部からの多大な助成により、スポーツアドバイザーとして元ナショナルチーム監督の西田豊明氏(日本体育大学教授)、スポーツトレーナーとして元ナショナルチームコーチの水野哲也氏(東京医科歯科大学助教授)を招き、一流指導者のもとでジュニアをはじめ一般の強化と、指導者の啓蒙に努めている。ここで、現在の強化について見てみると、成年男子は、中川高史(福岡中学校教員)、田中誠治(武内プレス)、湯浅稔(北陸予防医学協会)などを中心にして、この10年間で5回の国体出場を果たしているが、あと一歩と言うところで1回戦の壁を突破できないでいる。平成6年からは不二越が強化の一環として、国内の有望な大学生の獲得を開始したのをはじめ、平成7年には、全日本学生シングルス選手権で準優勝した山森誠二(高岡商業高校教員:日本大学卒)を補強し、徐々に全国の強豪と互角に戦える戦力を整えつつある。そして、平成9年には、高岡工芸高校卒の片山諭志(日本体育大学:県内就職予定)が全日本学生選手権で優勝し平成10年度のナショナルチーム入りを果たすというビックニュースが飛び込んできた。スポーツ少年団を組織し、小学生から地道に強化・普及に取り組んできた成果がようやく一つ実り、富山県産の一流選手が育ったことは、何より県内のジュニア選手とそれを支える指導者に大きな夢と自信を与えた、まさに快挙であった。成年女子は、先に述べたように平成5年3月にタカギセイコーフェアリーズが結成されたのを機に、一気に競技力のアップが実現した。国体にも平成4年より毎年出場を果たし、平成9年には、永年にわたって富山県女子を支えてきた木森千佳子(NTT高岡)を加えた成年女子チームが『なみはや国体』において初の第7位入賞を果たした。
また、平成9年には世界一の実力を持つ韓国との定期交流も実現した。7月には高岡西高校女子ソフトテニス部、9月にはタカギセイコーフェアリーズが韓国遠征を行うとともに,10月には韓国の強豪『農業協同組合中央会チーム』が高岡を訪れ、高岡スポーツコアでタカギセイコーフェアリーズとの合同合宿を行なった。元世界チャンピオンの張漢渉コーチや東アジア選手権個人、団体金メダリストの金景子ら一流選手の胸を借り技術を磨くことができた。この定期交流は、平成10年度以降も継続する予定である。この10年の『北信越選手権』での成績を振り返って見ると、一般男子では、昭和63年の長田裕・高辻則夫組の3位入賞以来いま一歩のところで上位入賞を逃していたが平成9年に山森誠二・田中誠治組が2位と健闘し、これから山森を中心とした男子の活躍が期待されるところである。成年男子(35才以上)では、平成元年に能又清・上口俊彦組が優勝、平成6年にも能又清・大黒克巳組が優勝している。またインドア大会でも平成2年・4年・5年と優勝を飾っている。最近は、石川県勢に押され気味ではあるが、富山国体に向けて巻き返しを図っている。シニア男子(45才以上)では、泉田泰司・遠藤正二組が昭和63年から平成5年までに優勝2回、準優勝2回と健闘した。遠藤氏は、新潟大学の高原氏とのペアで平成6年から平成9年まで連続してシニア2部(55才以上)で優勝しており、往年の実力を維持し続けている。一般女子では、言うまでもなく平成6年からタカギセイコー・フェアリーズが上位を独占している。また、成年女子でも、平成9年に木森千佳子・中村栄子組が2位と着実に実力をつけてきている。
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